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出身地の沖縄にこだわり、沖縄を題材にした作品を撮り続ける中江祐司監督の長編映画第2作。ストーリーは、東京から帰ってきた孫娘(西田尚美)と祖母ナビィ(平良とみ)との交流。また、ナビィのもとにかつての恋人が60年ぶりにブラジルから迎えに帰ってきたことによって巻き起こされる出来事を二重写しに、生きることと死ぬこと、人を愛することと信じることの意味を、美しい沖縄の風土のなかで大らかにうたいあげている。
特筆すべきは、ナビィの夫を演じる沖縄民謡界の大物、登川誠仁。蛇皮線にのせたひょうひょうとした歌声で、ナビィの駆け落ちをやさしく見守る彼の存在が、この映画のスケールを一段と大きくしている。また、音楽のすばらしさも忘れてはならないだろう。(堤 昌司)
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この映画の魅力の一つは、何気ないシーンに映し出される沖縄の風景のすばらしさだ。南国の風景といえば青い空と青い海、白い雲、鮮やかな夕日といったビビッドでコントラストの強いものを思い浮かべる。しかし、この作品では、そういった風景はあまり多くなく、それよりももっとナチュラルでやさしい風景が多い。台風の前のどんよりとした雲、多少くすんではいるがフレーム全体をとらえる淡い夕日のオレンジ。夜の海を柔らかに照らす月光。鮮烈な印象はないが、すべてを包み込むようなスケールの大きさと安心感に全編を通して覆われており、ものすごく心地が良い。ビビッドな風景は沖縄の良さの一部分でしかないと実感した。特に圧倒的な自然の力ですべてを吹き飛ばす台風は、小さなことにうじうじしていてもしょうがない、「なんとかなるさー」という、沖縄の人々のおおらかなメンタリティを形成する上で非常に大きな役割を果たしているのではないかと感じた。
特典映像のインタビューで中江監督は「沖縄を舞台にしたミュージカル映画を撮りたかった」と言っていた。その発言の通り、本作では随所に様々な音楽が溢れている。おじぃ役の登川誠仁の演奏するサンシンに乗せて歌われる沖縄民謡や恋人を追いかけて沖縄に移住したアイルランド人(アシュレイ・マックアイザック)がタップを踏みながら演奏するアイルランド民謡、オペラ、歌謡曲などなど。音楽や踊りが本当に必要不可欠なものとして生活の一部として定着していて、うらやましさを感じた。演奏方法や歌の歌詞などに決まりはなく、そのときの気分で勝手気ままに歌って踊るてーげー気質、他国の音楽もごちゃまぜに取り込んでしまうチャンプルー文化のすごさに改めて感心した。
これらすばらしい風景や音楽に包まれて、何にも増して際立つのは登場人物たちの温かさと懐の深さだ。仕事をやめて東京から故郷の粟国島に戻ってきた主人公の奈々子に対し、何の理由も聞かず「あんたの生まれた家だから、いつまでも居てもいいんだよ」と沖縄弁で語りかけるおじぃにまずはノックアウトされた。放浪してきた福之助をこれまた何の理由も聞かず、すぐに家族のように受け入れ奈々子の結婚相手として扱うというおおらかさ、あけすけさ。都会では失われた(もしかしたら沖縄の小島でもすでに失われつつある)密なコミュニケーションに憧れを感じた。(もちろん、他人に干渉されない現代社会のコミュニケーションに慣れてしまった自分にとっては、悲しい事だが実際にこの映画のように顔の見える小さなコミュニティーで生活をすれば、わずらわしさの方が勝ってしまうのかもしれない。その意味でこの憧れは単なるユートピア的なものなのかも知れない。)決して演技はうまくないが、天真爛漫さが炸裂した奈々子、ひょうひょうとした好青年の福之助、異常に味のある喋り口と演技のおじぃ、沖縄人の温かさを体現したおばぁ。すばらしい登場人物達がこの映画をものすごく味わい深いものにしていた。
学生時代から、かなりの数の映画を見てきたけど、今までは比較的難解で、暗い感じの映画ばかり見てきた。ハッピーエンドの映画にはなぜかリアリティを感じられず、あまり入り込めず、そういった映画は避けてきた傾向にある。それが最近は難解な映画を頭を酷使しながら観ることにあまり意味を見出せなくなり、あまり積極的に観たいとは思わなくなってきた。今はどちらかといえばこの映画のように純粋に幸せな気分になれる映画をもっと観たいと思うようになった。どういう心境の変化なのかよくわからないけど、映画の趣向以外にも、自分のメンタリティ上、さまざまな面で「振り子が逆に振れた」ような感覚を感じるようになってきている。この感覚をうまく表現する事は出来ないけど、自分自身の変化のバロメーターとしての映画を観る時間というのは、今後も大切にしていきたい。


